諏訪湖 御神渡り

信州最大の湖の諏訪湖は、毎年冬に全面結氷します。
年により、その氷の厚さが10cm以上になり、零下10℃程度の冷え込みが数日続くと、湖面の氷が大音響と共に山脈のように盛り上がる「御神渡り」が見られます。

これは、気温の上下に寄って氷が膨張と収縮を繰り返すことによって複雑なメカニズムで起きる自然現象なのですが、何年かに一度、最高50cm~1mもの高さで湖岸から湖岸まで数kmに渡り「氷の道」ができる光景は不思議なものです。

諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへと渡る恋の道である、というロマンチックな言い伝えがあり、今も神官が御神渡りかどうかを認定する拝観式が行われます。

その時、湖面の割れ目の状態を見て、その年の天候や農作物の出来、世の中の吉凶までも占います。

諏訪大社の上社と下社はこの御神渡りの起こりやすい両端近くに相対してまつられており、伝説では、御神渡りは上社の男神が下社の女神のもとへ出かけた跡だといわれている。御神渡り期日は、諏訪神社などの史料には 14世紀頃から記録されている。

 

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諏訪湖 御神渡り 2018

諏訪湖の「御神渡り」の判定をつかさどる八剱神社(諏訪市)は、2018年2月2日(金)「御神渡り」が出現したことを発表しました。2013年1月以来5季ぶりです。また拝観式(御神渡り神事)が、2月5日(月)に行われ正式に認定されました。

諏訪湖 御神渡り 記録

1万数千年前に諏訪湖が誕生して以来、くりかえし目撃されてきたであろう神秘の自然現象“御神渡り”。文字の無いころのことは知るよしもありませんが、平安時代の和歌には御神渡りのことがうたわれています。御神渡りの最古の公式記録には、約600年前の室町時代の応永4年(1397年)に諏訪神社の神官が幕府へ報告した文書の控え(御渡注進状扣)があります。連続した記録は、嘉吉3年(1443年)から天和元年(1681年)間の『当社神幸記(とうしゃしんこうき)』と天和2年(1682年)から明治4年(1871年)までの『御渡帳(みわたりちょう)』があります。429年間にわたって残されてきた気象記録は、世界でも大変珍しいものです(「当社神幸記」・「御渡帳」は当館の常設展示室2にて公開中)。若干の中断はあったものの現在(2005年)まで数えると約560年間も記録され続けていることになります。

 

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諏訪湖 御神渡り 時期

御神渡りが出現するためには、以下の条件が必要とされます。

■諏訪湖が全面結氷していること

■マイナス10度以下の日が1週間ほど続くこと

これらの条件を満たす可能性があるのが、大体1月下旬~2月上旬です。

諏訪湖 御神渡りとは

 

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“御神渡り”とは?

“おみわたり”の呼び名

「神渡(みわたり)」「御渡(みわたり)」「御神渡(おみわたり)」「神幸(みゆき・かんざき)」などがあり、古来は「御渡」の使用が主でした。現在は「御神渡り」が一般的に使われ、神事関連では「御渡り」としています。

冬期、気温が低下するなか、諏訪湖の湖面が全面結氷し、寒気が数日続くことで氷の厚さが増してゆきます。

さらに昼夜の温度差で氷の膨張・収縮がくり返されると、南の岸から北の岸へかけて轟音とともに氷が裂けて、高さ30cmから1m80cmくらいの氷の山脈ができます。

これを「御神渡り」と呼び、伝説では諏訪神社上社の男神・建御名方神(タケミナカタノカミ)が下社の女神・八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)のもとへ通った道筋といわれています。

この伝説にもとづいて、御神渡りの筋の両端については、諏訪湖の南側(上社側)を建御名方命が下り立ったところということで、「下座(くだりまし。“下御”とも)」と呼び、北側(下社側)を上がったところ、「上座(あがりまし。“上御”とも)」と古くから呼んでいます。

御神渡りは『諏訪の七不思議』の一つとしても数えられています。

また、氷上に人が出ることが許されるのは、神様の通った後というタブーもありました。

最初に出現した南北方向に走る御神渡りを「一の御渡り」、その数日後、同方向に出現したものを「二の御渡り」(古くは「重ねての御渡り」とも呼んだ)と呼んでいます。

また、東岸からできて一の御渡り、二の御渡りに直交するものを「佐久(佐久新海)の御渡り」と呼んでいます。

御渡り拝観の神事ではこの3筋の御神渡りを検分しています。

諏訪湖 御神渡り ライブカメラ

 

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残念ながら湖面の氷がはっきりと見えるライブカメラは現時点ではありません。